理解ということ

今日の作品は、私もラジオの中で何度かお話させていただいている『理解』ということがテーマ。

『理解』ということを極めることが、人生にとって、すごく大切なキーワードだと、私は思っています。

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さて、この『理解』ということが、くまさんの手にかかると、こんなふうに表現されます。

まずは、『頭』と『身体』に分けて考える。

ここが、くまさん流。

細かい字は、読みにくいと思うので、いつもの通り書き出しますね。

それでは、『頭』です。

『頭は計算機と同じ

頭は知識のみ

頭は知る

頭は理性

理性は反応すること多い

反応とは過去に経験したことを繰り返すこと』とのこと。

そして、『身体』は、

『身体で理解しまるごと確信する

身につく、自分の行動として

実行できた時こそ、真に理解を会得したことになる。

(完全に受容する)

自分流に消化する

精神は身体のすべての細胞の中にある。』と書かれています。

要するに、『理解』は、『身体で理解』することが重要ということなのです。

『受け入れる』←→『受け止める』

『目覚めないか』←→『目覚めるか』

『気づかないか』←→『気づくか』とも書かれています。

これらのことは、私はとても納得です。

一般的には、頭で理解することが大切とされているところがありますが、『頭』に入っていることは『データ』でしかないと私も感じています。

私自身は、よく人間をコンピュータに置き換えて表現します。

どんなに高性能なコンピュータがあったとしても、そこに意味のあるソフトをインストールしない限り、機能しません。

さらに、そこにデータを入れない限り、結局はただの箱に過ぎません。

また、目的の応じた使い方で、さまざまな用途に向けて、威力を発揮してくれるのもコンピュータのすごいところです。

こう考えると、どんな目的でどんなソフトをインストールして、どのくらいデータを入力するかで、同じ能力のコンピュータでも、出力は大きく変わってきます。

要するに使い手次第なのです。

全く同じことが人間にも言えると思います。

ピアノを弾きたいと思ったら、訓練(ソフトのインストール)が必要で、楽譜(データ)が必要です。

サッカーの選手になりたければ、練習(ソフトのインストール)が必要で、知識(データ)という形でルールや相手チームの情報も必要です。

でも、ここでいう訓練や練習こそが、身に付いたという言葉を使えるものであり、知識というデータだけでは、形にならないということを、それこそご理解いただけたらと思います。

そう、両方揃って、使える状態が出来上がり、本当の意味で『理解』できたと言えるのではないでしょうか?

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